序
眞杉大介
(tonkatsu.jp 主宰)
ー今日、金子さんの銘柄はありますか?ー
「今日、金子さんの銘柄はありますか?」
お客様からこのリクエストを受けない日は、ほとんどありません。天城黒豚をはじめ、金子さんの銘柄を目当てにご来店くださるお客様が、日に日に増えています。
私が天城黒豚を初めて口にしたのは、南青山にあるバスク料理専門店「Lauburu(ローブリュー)」、天城黒豚のグリルでした。赤身の味わいの深さ、とろける脂の質感。まだとんかつで「天城黒豚」を食べたことはありませんでしたし、とんかつ屋を始めようとも考えていない頃でした。それでも、ふと胸に浮かんだのです。
「この豚が、とんかつになったら、どんなことになるのだろう」
あの瞬間の高揚感は、今でも鮮明に覚えています。
2021年の夏。tonkatsu.jp 開業前、私は金子さんに連絡を差し上げました。
「秋から東京・表参道でとんかつ店を開業いたします。ぜひ御社の豚を、とんかつとして提供させていただけませんでしょうか」
飲食店未経験。どこの馬の骨とも分からない私の申し出でした。その私に、金子さんは静かにこう言いました。
「午前7時半に厚木の食肉センターに来てくれ。」
初めての電話。その短い会話だけで、相当厳しい方であろうことは想像に難くありませんでした。
強い緊張感を抱えながら厚木を訪れた日のことを、今でも鮮明に覚えています。
お店がオープンしたら取り組んでいきたいことなどをお話しして、無事に仕入れをお許しいただきました。オープン後、生産者として初めてとんかつを食べに来てくださったのが金子さんでした。普段、すべてのお客様に対して緊張感を持って揚げています。しかし、生産者ご本人に召し上がっていただくとがこんなにも緊張するのかということを経験したのは、そのときが初めてでした。あの一枚は、今でも忘れられません。
当初は天城黒豚、伊豆の太湖豚を納品していただきました。その後、様々な品種を掛け合わせた銘柄を納品いただきました。
「こういう配合の豚を作ってみたから、試してみてくれ。」
マンガリッツァやデュロック,あるいは梅山豚などとの掛け合わせなど、それは金子さんの試行錯誤の結果でした。
金子さんの豚を一言で表すならば、“とどまるところを知らず、進化し続ける豚” です。オープン当初からもちろん素晴らしかった。しかし、その美味しさの進化が止まらないのです。一年単位の話ではありません。一ヶ月前に「これ以上はない」と思った豚の、その上を、平然と更新してくる。それも毎週のように。
驚くのは私だけではありません。お客様もです。中には、ソースも塩もつけず、そのまま一食を完食される方もいらっしゃいます。それだけ素材に力があるということです。けれど、その力の根にいるのは、金子渉という人です。
天城黒豚に始まり、伊豆の太湖豚。そして「そっちで名前は決めてくれ」と託され、私が命名させていただいた「プロトタイプシリーズ」。いまでは金子さんの銘柄は十三銘柄にものぼります。
金子さんのこの探究心はどこから来るのか。なぜ、ここまで突き詰めるのか。
その背景を知っていただいた上で召し上がっていただけたなら、とんかつは、もう一段、深い体験になるのではないか。そう考え、金子さんご本人にお話を伺いました。
さらに、金子さんとプライベートでも長年お付き合いのある飼料メーカー・石﨑弘寿さん。そして私と同じく金子さんの豚に衝撃を受け、天城黒豚を使ったラーメンも提供する、京都の「魔界系ラーメン三冠馬」店主・苗田岳史さんにもお話を伺いました。
ご本人の語り。そして第三者の視点。
それぞれの言葉が重なったとき、金子渉という人物の輪郭が立ち上がってきました。この物語を通して、金子さんの豚を、より楽しく、より美味しく味わっていただけるのならば、それ以上の喜びはありません。
第1章
石崎弘寿
(小山商事株式会社 飼料部 部長)
― 飼料という、最も見えにくい場所から―
金子渉さんと最初にお会いしたのは、もう二十年近く前のことになります。2000年を少し過ぎた頃だったと思います。
眞杉さんにもお話ししましたが、あの頃の畜産業界は、今振り返っても本当に厳しい時代でした。とんかつ用の豚でも、安い時にはキロ350円ほど。平均しても450円前後、良くて500円という価格帯です。今では考えられない数字ですが、当時はそれが当たり前でした。
私は埼玉県、群馬県、栃木県で飼料業を営んでいます。餌屋という仕事は、景気がいい時にはあまり存在を意識されません。しかし業界が傾き始めると、真っ先に影響を受けます。集金に伺えば「金がない」と言われる。時には胸ぐらをつかまれることもありました。怒りの矛先が営業に向かってくることも珍しくありませんでした。
畜産というのは、うまく回っている時は誰も文句を言いません。しかし一度歯車が狂うと、生産者、問屋、餌屋、すべてが連鎖的に苦しくなります。そんな時代でした。
その頃、埼玉の入間市や狭山市で黒豚を飼育している生産者さんがいました。「入間黒豚」「狭山黒豚」と呼ばれていた豚です。しかし当時、食肉センターでは黒豚があまり高く評価されておらず、一般豚と同じ価格で取引されることもありました。黒豚は飼育期間が長く、餌代もかかり、管理も難しい。本来であれば一般豚より100円以上高く売れなければ割に合いません。それでも価格は同じ。これでは続けられない。そうした声が生産者さんから上がりました。
「売り先を何とかできないか」
その相談を受けたことが、すべての始まりでした。当時、私は日本農産工業と付き合いがあり、神奈川県に黒豚を扱っている問屋があるという話を聞きました。それが金子畜産さんでした。日本農産工業の営業から連絡先を教えてもらい、私が金子さんに電話をした。それが最初の接点です。
今でもはっきり覚えています。初めての電話で、金子さんはこう言いました。
「どうせなら、その三つの農場、俺の目で確かめたいな。青梅インターに十時半に待ってるから来てくれ」
初対面のはずなのに、話が早い。迷いがない。青梅インターの周辺に、ちょうど3つの農場が固まっていました。私は事前に二度ほど電話でやり取りをして、当日、指定された時間に青梅へ向かいました。
「どうも、金子です」
挨拶はそれだけでした。世間話もないまま、すぐに農場へ向かいました。3つの農場を回りましたが、金子さんが「合格」と言ったのは、1つだけでした。しかも、判断は驚くほど早い。2つ目の農場は、扉を開けて中を見ただけで終わりでした。奥まで入らない。外に出た瞬間に、こう言われました。
「石崎さん、手前の餌箱と水飲みのピッカー、見たか?」
水飲み場が汚れている。餌箱が汚い。それだけで、もうダメだ、と。「絶対だ」と言い切られました。10時30分という時間にも、理由がありました。朝の餌を食べて終わったあと、その時間になっても餌が残っているようではダメだ、という考えです。
「10時30分に残ってる餌はな、捨てるくらいでなきゃいけねえんだ」
豚は綺麗好きでデリケートなんだ。豚は一つの柵の中に、だいたい10頭前後で飼育しています。この10頭は産まれた時から弱肉強食の生活が始まります。力の強い豚が先に餌を食べる事ができます。よって八番目以降の豚は、残り物の餌を食べることになります。前の豚のヨダレが餌に付くこともあります。時間が経てば、餌の鮮度は落ちます。夏場なら、なおさらです。本当に管理ができている農場なら、食べ終わったあと、餌箱を確認する、スコップでひとかきすれば、餌箱はきれいになっています。
ところが、1つ目、2つ目の農場は餌が残っている。天井にはクモの巣がたくさんある。匂いもある。この3 点で、即座にアウトでした。とにかく農場の衛生面を重視すると感じました。
最後に3つ目の農場は、入間市の住宅街の中にある小さな農場でした。普通なら考えられない立地です。しかし、驚くことに、まったく豚の匂いがしませんでした。頑固そうなおじいさんが一人で経営しており、とにかく洗浄が徹底されていました。私も何度も農場を見てきましたが、あそこまで匂いがないのは珍しい。そこは、もともと私が担当して餌を入れていた農場でもありました。「ここなら大丈夫だろう」と思っていましたが、金子さんも同じ判断でした。そして、その場で合格が出ました。
「毎週火曜日、8頭でいい。定時定量。厚木まで持ってきてくれ。高速代は俺が払う。格付の上・中・並は関係ねえ。全部、620円で買う」
黒豚が一般豚と同じ値段で叩かれていた時代に、620円で買う。これは凄い事です。
これが金子畜産さんとの取引の始まりでした。当時、金子さんはまだ農場を持っていませんでした。立場としては「問屋」です。しかし、「どう育てれば、どういう肉になるか」という感覚は、すでに持っていました。私は、飼料のプログラムをすべて見せました。子豚用、仕上げ用、母豚用。仕上げの黒豚用指定配合飼料、全部です。金子さんは一通り見てから、こう言いました。
「これだけはな、仕上げの1 ヶ月、必ず与えてくれ」
さらに驚いたのは、その後でした。私は生産者さんの請求書を毎月月末に、金子畜産事務所にFAXを流しておりました。これにより本当にその仕上げ用の飼料を買っているかどうかが分かる。「入れてます」と言いながら、実際には入れていないケースは、正直よくあります。金子さんは、そういう曖昧さを、最初から潰していきました。
その生産者さんは、後に癌で亡くなられました。亡くなるまで、金子さんはずっとその方の豚を買い続けました。そして、最後に残った豚も、すべて引き取りました。廃業というのは、最後が一番つらいものです。メスは出産させて出荷できますが、オスが残る。金子さんは、「病気がなければ農業高校に無償で入れられないか」というところまで考えていました。私も埼玉県の農業高校や県の畜産試験場も担当していますから、現実はよく分かります。しかし検査をかけると、やはりいくつか引っかかるものが出ました。導入はできない。その時、金子さんは言いました。
「じゃあ全部、俺のところで責任持って潰す」
最後まで黒豚の管理屠畜して、葬儀にも行き、線香をあげ、奥様に肉を手渡した。問屋が、そこまでやるか。普通は、やりません。あの姿を見て、私は思いました。「この人は、肉の先まで見ている人だ」と。金子さんは、川上も、川下も、全部見ています。生産者の多くは、出荷したら終わりです。自分の豚が、どの問屋を通り、どの店に入り、誰にどう食べられているか。そこまで知っている人は、ほとんどいません。だから金子さんが、厚木の食肉センターにこだわる理由も、よく分かります。屠畜後データが即座に上がるため手が加えられない。いじれない。ごまかせない。それが、本来の姿だからです。
金子さんが農場を始めると聞いた時、私は正直に思いました。「日本に一人しかいない存在になるな」と。問屋として現場を知り、毎日、自分の肉を見て、農場に入り豚を観察、血統を選び、餌の給与設計をして実行、そして農場環境まで管理する。
生産者が問屋になることは、ほぼ不可能です。だから私は金子渉さんを「生産者」でも「問屋」でもなく、別次元 = 異次元だと思っています。生産性は度外視です。良い豚肉をつくるため長期にわたり一気通貫で行うのが金子スタイル。そして今は、手塩にかけた豚肉を受け止める料理人がたくさんいらっしゃいます。探究心が止まらない。豚が好きで仕方がない人です。
一番印象に残っているのは、食事の席で、金子さんがまったく関係のないお客さんの表情を見ていることです。普通のお客さんが金子さんの豚肉を食べて「美味しい」と言う。
その顔を見て、金子さんが、はにかんで笑う。そして、あの一言です。
「うめーべ」
600 日育てても、「うめーべ」。400日でも、「うめーべ」。あれが、金子渉という人のゴールであり、同時に次のスタートなのだと思います。
私は、これからも一緒に走り続けて行きたいと思います。
第2章
苗田岳史
(魔界系ラーメン三冠馬 店主)
―「鍋の前で、豚の狂気に出会った話」―
眞杉さんとお話しする時、だいたい最初は競馬の話になります。それはもう自然な流れで、意識しているわけではないのですが、気づけばいつもそうなっています。競馬の話をしていると、不思議と緊張がほどけるんです。仕事の話でもなく、立場の話でもなく、ただ「好きなものの話」になる。たぶん、その空気があるからこそ、その先にある本題——金子渉さんの話にも、自然に入っていけるのだと思います。
私は京都で「ラーメン三冠馬」という店をやっています。この名前についてはよく聞かれるのですが、由来はわりと単純です。修行先の福岡のお店が、三国志好きの社長さんで、三種類のラーメンを三国志に見立てて出していたんです。その発想がとても面白くて、「自分の店をやるなら、自分の好きなものをちゃんと出した方がいい」と言われたことが、ずっと頭に残っていました。
私は昔から競馬が好きでした。修行中、ラーメンを作りながらずっと考えていたんです。三種類のラーメンを、自分なりにどう表現するか。ある時、ふと「馬があるな」と思いました。三種類ある。三冠馬がある。しかも歴代の三冠馬には、それぞれはっきりとした個性と物語がある。
最初に決まったのが、今出している鶏塩ラーメンでした。スープが少し黄色がかっていて、それを見た瞬間に「オルフェーヴルでいけるな」と思ったんです。黄金色。オルフェーヴルの名前の意味も含めて、ぴったりだなと。次に決まったのが、豚を使ったラーメンです。初めて食べた時の衝撃が強すぎて、「これはディープインパクトだな」と。衝撃。そのまま名前にしました。最後に残ったのが油そばでした。味が強くなりがちなので、どうしても名前が決まらなかった。でも「漢字二文字で揃えたい」と考えて、歴代の三冠馬を思い返していたら、シンボリルドルフが浮かびました。皇帝。これで揃ったな、と。
そんな流れで、「ラーメン三冠馬」という名前になりました。正直、無理やりなところもありますが、自分の中ではしっくりきています。
競馬を始めたのは2001年頃です。同級生に競馬好きが多くて、その中の一人にステイゴールドを教えてもらいました。ずっと二着ばかりで、最後に海外で勝つ。あの馬の物語を見た時、「こんな世界があるんだ」と思いました。当時はダービースタリオンやウイニングポストが流行っていて、ゲームをやりながら血統を覚えて、配合を考えて。今思うと、あれがすでに「作る側の視点」だったのかもしれません。
競馬とラーメン、まったく別の世界に見えるかもしれませんが、私の中ではかなり重なっています。血統。配合。時間。積み重ね。そして、最後は結果がすべて。どちらもロマンがないと続かない世界だと思います。ラーメンとの出会いについて聞かれることもありますが、正直に言うと、最初は「好きだった」というのが一番大きいです。
私はもともとサラリーマンをしていました。ただ、どうにも合わなかった。無理を重ねて、最後は体調を崩して倒れてしまいました。そのタイミングで、懇意にしていた社長さんから「福岡でラーメン屋をやるから、よかったら来ないか」と声をかけていただきました。場所は糸島。自然もあって、リハビリにもなるから、と。二つ返事で行きました。もう、これしかないと思ったんです。そこでラーメン作りを学び、「自分でやるなら、まずはラーメンだな」と思いました。
京都に戻り、物件を探し、店を始めました。京都のラーメン文化は懐が深くて、「美味しければ何でもいい」という空気があります。それが、私にはとてもやりやすかった。
金子渉さんの豚を初めて知ったのは、鵠沼海岸の「うずとかみなり」さんでした。福岡で修行していた頃、社長が世の中にあるラーメンの本を全部揃えてくれて、片っ端から読んでいたんです。その中で、一番強烈に印象に残ったのが「うずとかみなり」さんでした。「何だこの人は」と思うほど、狂気じみたこだわり。ページを何度も読み返しました。独立したら、絶対に行こうと決めていました。
実際に行って、まず普通の醤油ラーメンをいただきました。それだけでも十分に美味しかったのですが、「今日限定であるんですけど」と出していただいたのが、「天城黒豚の昆布水塩つけSOBA」でした。正直、衝撃でした。チャーシューを一口食べて、「何だこれは」と思いました。赤身も脂も、今まで知っていた豚とはまったく違う。
帰り道ですぐに調べました。どこでこの豚が食べられるのか。その時にSNSで、金子さんと甲斐さん(でぶちゃん)、そして麺でる相模原店の店長さんが tonkatsu.jp に行かれている投稿を見つけました。「あ、ここに行けばいいんだ」と思った。それが、すべての始まりです。そして実際に、tonkatsu.jp さんで「伊豆の太湖豚」「伊豆の極」を食べに、一月と空けず京都から通い続けているのは、ご承知の通りです。
後日、橋本ホルモンで金子さんに初めてお会いしました。正直に言うと、第一印象は——「この人、狂気の人だな」でした。褒め言葉です。話した瞬間に分かりました。この人が作るなら、こういう豚になるよな、と。理屈じゃなく、直感でそう思いました。
その後、実際に豚を使わせていただくようになり、料理人として何度も驚かされました。まず、脂が違います。金子さんの豚は脂の融点がとても低い。常温でも、どんどん溶けていきます。スープを炊く時、普通の豚だと沸騰した瞬間にボコボコと大きな泡が立ちます。水だけが沸騰している状態です。でも、金子さんの豚を使うと違います。加熱の途中ですでに脂が溶け出し、自然に乳化が始まっています。沸騰しても泡が細かい。静かに、ずっと細かい泡が出続ける。最初は「これ、あってるのかな」と思いました。でも、何度やっても同じ。「ああ、こういうことなんだな」と。
チャーシューも切り置きができません。切っておくと脂が溶けてしまって、くっついてしまう。なので、オーダーが入ってから切ります。手間はかかりますが、味を落としたくない。
煮豚を作った時には、もっと驚きました。いつも通り火が入ったと思って温度を測ったら、三十度。「ちょっと待ってくれ」と。そこから一時間以上、火を入れ直しました。脂が多すぎて火が通らない。でも常温では溶ける。意味が分からない素材です。でも、だからこそ面白い。
私はラーメンを作る時、「スープが主役」だとはあまり思っていません。金子さんの豚を使うようになってからは、特にそうです。チャーシューが主役。肉と脂が主役。スープは、それを支える存在でいい。むしろ、目立たない方がいい。チャーシューを乗せた瞬間に溶け出す脂だけで、味が完成してしまう。そんな素材は、なかなかありません。
金子さんの豚は、愛と狂気と執念の結晶だと思っています。愛情がなければ、あんなことはできない。狂気がなければ、毎週全頭チェックなんて続かない。執念がなければ、あそこまで突き詰められない。
でも、最終的に金子さんが見ているのは、とてもシンプルなところだと思います。誰かが食べて、「美味しい」と笑うこと。石崎さんがおっしゃっていた「うめーべ」という一言。あれに、すべてが詰まっている気がします。
天城の限定を出した時、初めて来たお客さんが、いきなり限定を頼んで、驚いた顔で笑った。ああ、これだな、と。
金子渉という人は、人を笑顔にするために、狂気のように豚を作っている人なんだと思います。
第三章 金子渉
(株式会社金子畜産 代表取締役)
俺は四代目だ。
ひいじいさんの代から続いている家畜商、いわゆる問屋でね、豚は小さい頃から当たり前にそばにあった。でもね、眞杉さん、俺ね、最初から生産者になろうと思ってたわけじゃないんですよ。生産を始めたのは十年ちょっと前。だから、生産者としてはまだ若い方だと思ってます。ただね、業者として豚を見て、触って、切って、売ってきた時間はそれなりに長い。だからずっと考えてきたのは、「どういう豚が、ちゃんと評価されるんだろうな」ってことです。
市場で値が出る豚っていうのは正直、分かりやすい。枝肉が白い。見た目がいい。それで値は出る。でもそれだけじゃない。俺が目指してきたのは、赤身が締まった豚です。噛んだときに肉の中から旨みが出てくる。そういう豚。赤身が締まる豚だ。肉締まりがいい豚。これが、結局いちばん強い。じゃあどうやったら赤身が締まるか。これは餌の話にもなるし、飼い方にもなるし、品種にもなる。けど、一番の土台は健康なんです。
俺が引き継いだ農場は施設がボロでした。でも「美味しい豚ができる条件が揃ってる」と思った。何かっていうと、でかい病気がなかった。これがすげえなって思った。俺はいろんな県の農場を見てきたけど、病気のある農場っていうのは、結局どこかで無理が出る。腹が良くないところが多い。免疫が低い。そうなると肉も締まらないし、内臓も荒れる。だから、まず健康体にしなきゃいけない。
日数を飼うっていうのも、ただ長く飼えばいいって話じゃない。健康状態を保ったまま日数を飼うにはどうしたらいいのか。そこを考えないと、長期肥育はただの自己満足で終わる。俺は昔から「普通の豚は百五十日で出荷する」っていう主流の世界を見てきた。でも俺はそれをやってない。たっぷり飼わないと肉は良くならないって思ってるから。もちろん、ただ長く飼えばいいわけじゃない。健康でなきゃ意味がない。だから俺は、健康を作るためのことを、全部徹底する。その象徴が、俺の中では内臓です。
俺は、肉だけじゃなくて、内臓を見ます。内臓が良くなきゃ肉なんか良くならないんだから。普通はね、ホルモンは流通が別になる。内臓屋に全部いっちゃう。生産者はそこまで触らない。出荷して終わり。でも俺は違う。屠畜の枠も持ってるし、カットもして、肉も触ってる。だから、内臓が荒れてれば肉も荒れるってことを実感で知ってる。だから内臓は、自分で洗って、自分で触って、番号札をつけて、毎週食べる。感じなきゃどうしようもないから。酒飲んでるだけじゃなくて、食べて、違いを感じて、「なんでこうなった」って考える。これは料理人と同じで、最後は舌なんだよね。
ただ、内臓って簡単に良くならない。養豚は外から何が入るか分からない。山の中だから野生動物もいる。豚熱だってある。だから俺は農場に入る時は着替えるし、外に出てる時はなるべく農場に入らない。堆肥運びだって自分でやってるけど、外に出てる人間が一番危ないっていう感覚がある。だから守る。守らないと全部終わるから。そういうのって、金がかかるし手間もかかる。みんなやらない。だから「そこまでやってんの?」って言われる。でも、丈夫じゃないと話にならない。山の中で、いつ何が起きるか分からない。だから人のやらないことをやってるんです。
餌の話もよく聞かれるけど、俺は基本、餌を大きく変えてない。高いって言ったらずっと高い。十年以上そう。原料が上がったとか、資材の値段も上がったとか、そんなのは分かってる。苦しいのは苦しい。儲かんねえんだなって、俺も思う。家に帰って「なんでこんな金がないの」って言われるのが一番辛い。本当に。
でも削ったらできないんですよ。削ったら赤身が締まらない。削ったら内臓が荒れる。削ったら俺の豚じゃなくなる。だから削れない。そういう世界でやってる。それで、俺はよく同業者に「バカだな」って言われるんです。そんな儲かんねえことやってって。でも俺はね、うめえの食った方がいいじゃんって思ってる。自分で食うのもそうだし、食べる人にもそう。豚って、結局食べ物だから。食べた時に「うめえ」ってならなきゃ意味がない。
だから俺は、他の生産者が理解できないことをやってるって自覚はあります。たとえば、脂肪酸の数値を毎週取る。これも普通はやらない。数字は嘘つかないから、毎週取っていけば傾向が出る。餌が同じでも、餌の配分であったりや個体で微妙に変わることもある。そこまで含めて、結局は「どういう状態が、俺の豚として正しいのか」を外さないためにやってる。
品種の掛け合わせも同じです。人と同じことやったって面白くねえし、俺はそれが嫌いだから、いろいろやる。でも遊びじゃない。結果が全部出る。肉に出る。脂に出る。内臓に出る。最近また思ったのは、梅山豚が入るとやっぱすごいってことです。昨日、自分で食べて、しみじみ思った。レバーもタンも、こんなに違うのかって。黒豚と梅山豚とマンガリッツァ、この組み合わせが合う。肉量は多くないけど、脂の質も肉質も、内臓も別格になる。だからまた次を考える。次の子が出たらまた答え合わせする。結局それの繰り返しです。
でもね、百点満点は難しい。同じ餌で、同じ環境でやってても、切ったら「あれ?」って時がある。なんでなんだろうって思う。血統の問題もある。だから俺は遺伝子を登録していこうかとも思ってる。肉が悪かった時、どの父系かが遡れたら、悪いものは抜ける。めんどくさい。でもやらないと詰めきれない。そうやって一つ一つ潰していくしかないんです。俺が欲しいのは、見た目がいいだけの豚じゃなくて、食べた時に「締まってる」って分かる肉だから。
俺が養豚を始めたとき、もともとは黒豚しかいなかった。黒豚限定でやろうなんて最初から決めてたわけじゃねえ。趣味みてえなもんだよ、最初は。でもな、やるならとことんやる。「伊豆の極」って名前つけたろ。極なんて名前つけちまったら、普通はそこで止まるもんだ。でもな、止まれねえんだよ。常に上だ。常にその上を見てる。究極を作ってやめられりゃいいけどな、そんな日、来ねえよ。他のやつがやらねえことをやる。できねえことをやる。
豚は、最後は食べ物です。
関係ないお客さんが、一口食って「美味しい」って言う。その顔を見ると、自然に出る。
「うめーべ」
四百日でも。六百日でも。
「うめーべ」
それが終わりで、それがまた始まりだ。
極なんて名前つけたけどな、極は止まる場所じゃねえ。上を見続けるって覚悟の名前だ。
まだまだ、行くぜ。
(金子渉物語 了)



